断熱不変量

水素原子スペクトルの「微細構造」に関連して「ボーア=ゾンマーフェルト模型」を調べていたら, 「断熱不変量」という物理量に遭遇した. 朝永:「量子力学」§5 と M.ボルン:「現代物理学」の第5章から,「断熱不変量」についての文章を抜粋してまとめておく.


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断熱不変量

〈朝永:「量子力学」§5より〉 ある正弦振動を行なうような振動系があったとする.これは簡単な系で吊るした振り子であってもよいし, また引っ張られた弦のようなものでもよい.あるいは空洞内の輻射であってもよい.ただし空洞輻射といっても, 壁を通じて熱溜と熱エネルギーのやり取りをするものではなく, 完全に独立した輻射を考える.この力学系がある固有振動を行なっているとき,「その系の形をゆっくりと変化させて行く」.例えば, 振り子の糸をだんだん短くしたり弦の長さや張力を変化させたり, または空洞の壁の一つをピストン仕掛けにしておいてそれを中に押し込んだりする.そのとき,「この変形が十分ゆっくり行われると, 変化した後に, 系はやはり一つの固有振動を行なっている」ということが証明される.
このとき, 力学系の形の変化によって, もちろん固有振動の振動数 \(\nu\) は変化して来るし, またその振幅も変化して来る.従って振動のエネルギー \(E\) も変化して来る.それは言い換えると,「その変形の際に, それだけの仕事を行わなければならない」ということである.しかしそのとき注意すべきことは,「\(E\) の変化の割合と \(\nu\) の変化の割合とが相等しく, 従って \(E/\nu\) はこの変化に於いて不変の値を持ち続ける」のである.この \(J=E/\nu\) のことを「断熱不変量」という.もしも初めに系が固有振動の状態に無かったら, それは色々な固有振動を重ね合わせたもので表わすことが出来る.そうすると, 各々の固有振動毎に \(E/\nu\) が不変なのである.

図3.長さを変え得る単振子.長さを十分ゆっくり短くするなら, 振動数 \(\nu\) に対するエネルギー \(E\) の比 \(E/\nu\) は一定である.

〈M.ボルン:「現代物理学」第1章§2から抜粋〉 以上の事実を簡単な振り子の例で示そう.長さが例えば滑車を用いて手繰りながら変えることが出来るような単振り子を考えよう (図 3 参照).もし糸を「ゆっくり縮める」ならば, 我々は第1に重力に対し, 第2に振動子の遠心力に対して仕事をすることになる.糸の長さが \(l\) から \(l+\Delta l\) に「ゆっくり変った」としよう.ただし \(\Delta l\) は負であるとしておこう.そうすれば, 振り子は短かくされたことになる.糸を引いている重さの成分は \(mg\cos\phi\) であり, 遠心力は \(ml\dot{\phi}^{2}\) である.\(\dot{\phi}\) は角速度である.重力および遠心力に対して為された仕事 \(W\) は,

\begin{equation}
\def\ppdiff#1#2{\frac{\partial #1}{\partial #2}}
\def\pdiff#1{\frac{\partial}{\partial #1}}
\def\Bppdiff#1#2{\frac{\partial^{2} #1}{\partial #2^{2}}}
\def\Bpdiff#1{\frac{\partial^{2}}{\partial #1^{2}}}
\def\mb#1{\mathbf{#1}}
\def\mr#1{\mathrm{#1}}
\def\reverse#1{\frac{1}{#1}}
\def\ds#1{\mbox{${\displaystyle\strut #1}$}}
\def\half{\frac{1}{2}}
W=\int_{l}^{l+\Delta l} \bigl\{mg\cos\phi + ml\dot{\phi}^{2}\bigr\}\,(-dl)
\tag{1}
\end{equation}

である.ところが糸を「非常にゆっくり短かくしている」と仮定しているのであるから, この変化の間に振り子は何回もあちらこちらに振動している.そこで振動の振幅の変化(すなわち振れ角 \(\phi\) の変化) を糸の長さ \(l\) に比べて無視し, 振幅 \(l\cos\phi\) は一定である (従って \(\cos\phi=\) 一定) として, 運動について積分すれば,
\begin{equation}
W=\left\{mg\,\overline{\cos\phi}+ml\,\overline{\dot{\phi}}\,\right\}\int_{l}^{l+\Delta l}\,(-dl)
=-\left\{mg\,\overline{\cos\phi}+ml\,\overline{\dot{\phi}}\,\right\}\Delta l
\tag{2}
\end{equation}

を得る.ただし「横線は変化を受けない運動についての平均を表す」.更に, もし微小振幅に限る (\(\phi\) が微小) ならば, \(\cos\phi\) を級数展開して \(\cos\phi\approx 1-\phi^2/2\) と近似してよいから, 上式は次となる:
\begin{align}
W&=-\left\{mg\left(1-\half\overline{\phi^{2}}\right)+ml\,\overline{\dot{\phi}}\right\}\Delta l =-mg\,\Delta l + \left(mg\,\frac{\overline{\phi^{2}}}{2}-ml\,\overline{\dot{\phi}^{2}}\right)\Delta l \tag{3}\\
&= -mg\,\Delta l +\Delta E, \qquad\mathrm{where}\quad \Delta E=\left(mg\,\frac{\overline{\phi^{2}}}{2}-ml\,\overline{\dot{\phi}^{2}}\right)\Delta l \notag
\end{align}

第1項は平衡位置の上昇に対応するが, これは興味がない.第2項すなわちカッコ内の式と \(\Delta l\) との積は「振り子運動」のエネルギー増加分 \(\Delta E\) を表している.変化を受けない(元の)振り子運動のエネルギーは次である:
\begin{equation}
E = T+V= \frac{m}{2}(l\dot{\phi})^2 + mgl(1-\cos\phi)
\tag{4}
\end{equation}

この第1項は運動エネルギー \(T\) を, 第2項は静止位置に対するポテンシャルエネルギー \(V\) を表す.\(1-\cos\phi\) を近似的に \(\phi^{2}/2\) で置き換えれば,
\begin{equation}
E =\frac{m}{2}l^{2}\dot{\phi}^{2}+mgl\frac{\phi^{2}}{2}
=\half m (l\dot{\phi})^{2} + \half m\frac{g}{l}(l\phi)^{2}
=\half m\dot{q}^{2}+\half m\omega^{2}q^{2}
\tag{4′}
\end{equation}

しかしこれは丁度, 振幅が \(q=l\phi\) なる線形振動子のエネルギー関数である [1]単振り子の復元力は錘に働く重力の振動方向成分 \(\displaystyle -mg\sin\phi\approx -mg\,\frac{g}{l}\) である (図 3 参照).バネ振り子でこれに相当するのは … Continue reading.それゆえ運動は単調和振動 \(\phi=\phi_0 \cos\omega t\) である.ゆえに,
\begin{equation}
\overline{\phi^{2}}=\phi_0^{2}\times \overline{\cos^{2}\omega t}=\frac{\phi_0^{2}}{2},\quad
\overline{\dot{\phi}^{2}}=\overline{(\phi_0(-\omega)\sin\omega t)^{2}}
=\phi_0^{2}\omega^{2}\times \overline{\sin^{2}\omega t}=\frac{\phi_0^{2}\omega^{2}}{2},
\tag{5}
\end{equation}

これから, \(\displaystyle \omega=\sqrt{\frac{g}{l}}\) であるから, 容易に次式が得られる:
\begin{align}
E&=\frac{m}{2}l^{2}\overline{\dot{\phi}^{2}}+mgl\frac{\overline{\phi^{2}}}{2}
=\frac{m}{2}l^{2}\times\frac{\phi_0^{2}\omega^{2}}{2}+ mgl\half\times \frac{\phi_0^{2}}{2}
=\frac{1}{4}ml^{2}\phi_0^{2}\omega^{2}+\frac{1}{4}mgl\phi_0^{2}\notag\\
&=\frac{1}{4}ml^{2}\phi_0^{2}\omega^{2}+\frac{1}{4}m(l\omega^{2})l\phi_0^{2}
=\half ml^{2}\phi_0^{2}\omega^{2},\tag{6}\\
\mathrm{or}\quad E &=\frac{1}{4}ml^{2}\phi_0^{2}\frac{g}{l}+\frac{1}{4}mgl\phi_0^{2}
=\frac{1}{2}mgl\phi_0^{2}\notag
\end{align}

しかるに \(W\) の表式 (3) の第2項 \(\Delta E\)に, 式 (5) とこの結果を用いると,
\begin{align}
\Delta E &=\left(mg\,\frac{\overline{\phi^{2}}}{2}-ml\,\overline{\dot{\phi}^{2}}\right)\Delta l
=\left(\half ml\,\omega^{2}\frac{\phi_0^{2}}{2}-ml\,\frac{\omega^{2}\phi_0^{2}}{2}\right)\Delta l
=\left(-\frac{1}{4}ml\,\omega^{2}\phi_0^{2}\right)\Delta l\notag\\
&=-\left(\half ml^{2}\phi_0^{2}\,\omega^{2}\right)\times \frac{1}{2l}\Delta l
= -\frac{E}{2l}\Delta l,
\tag{7}
\end{align}

従って,
\begin{equation}
\frac{\Delta E}{E}=-\half \frac{\Delta l}{l}
\tag{8}
\end{equation}

である.しかし他方, \(\displaystyle \omega=2\pi\nu=\sqrt{\frac{g}{l}}\) より \(\nu\) は \(l^{-1/2}\) で変化する.\(\displaystyle \nu=\frac{1}{2\pi}\sqrt{\frac{g}{l}}\) の両辺の微分をとると,
\begin{equation*}
d\nu=\frac{d\nu}{dl}dl =-\frac{\sqrt{g}}{2\pi}\frac{1}{2}l^{\,-3/2}\,dl
=-\frac{1}{2\pi}\sqrt{\frac{g}{l}}\times \frac{dl}{2l}=-\nu\frac{dl}{2l},
\quad \rightarrow\quad \frac{d\nu}{\nu}=-\frac{1}{2}\frac{dl}{l}
\end{equation*}

よって,
\begin{equation}
\frac{\Delta\nu}{\nu}=-\half \frac{\Delta l}{l},
\tag{9}
\end{equation}

この右辺は式 (8) の右辺に等しい.従って,
\begin{equation}
\frac{\Delta E}{E}=\frac{\Delta\nu}{\nu},\quad\mathrm{or}\quad \frac{dE}{E}=\frac{d\nu}{\nu}
\tag{10}
\end{equation}

である.これは \(E\) を振動数 \(\nu\) の関数と見た微分方程式で, その解は
\begin{equation}
\frac{E}{\nu}=Const=J
\tag{11}
\end{equation}

となる.このような振り子を「ゆっくり(断熱的に)縮めている間, \(J\) という量(断熱不変量)は一定である」.よって「エーレンフェストの原理[2][訳註] 「Ehrenfest の断熱仮説」: 力学系に外部から何らか変化を与えるとき, この変化が無限にゆっくりと行われるなら, その経過の途中, … Continue reading から, これは \(h\) の整数倍に等しいと置くことが出来る.すなわち,
\begin{equation}
E=n h\nu
\tag{12}
\end{equation}

従って, 調和振動子のエネルギー準位がプランクの基礎仮定と一致して得られたことになる.

References

References
1 単振り子の復元力は錘に働く重力の振動方向成分 \(\displaystyle -mg\sin\phi\approx -mg\,\frac{g}{l}\) である (図 3 参照).バネ振り子でこれに相当するのは \(-kq=-m\omega^{2}q\) であるから \(\displaystyle k=m\omega^{2}=\frac{mg}{l}\) 従って \(\displaystyle \omega^{2}=\frac{g}{l}\) である.調和振動子のエネルギーは振幅を \(q\) として次式で表される:
\begin{equation*}
E=\half m\dot{q}^{2}+\half m\omega^{2}q^{2}
\end{equation*}
2 [訳註] 「Ehrenfest の断熱仮説」: 力学系に外部から何らか変化を与えるとき, この変化が無限にゆっくりと行われるなら, その経過の途中, 力学系の運動を通常の力学を用いて論ずることが許される.そしてこのとき, 変化の始まる前に系が量子的に許される状態(整数値のみを取り得る量によって表される状態)にあれば, この変化の途中およびその後に於いて系はいつも量子的に許される状態にある. 従って, これらの量は変化を受けると, ある整数だけ一っ飛びに変わるか, 或いは変わらないままでいるかの何れかである.系に作用する変化がゆっくり行われるならば, 後の場合が起こるに違いない.即ちこの場合, これらの量は「断熱的に不変」であるという.従って「断熱的不変量」だけが量子化できると言ってもよい.(朝永,ボルンより)