運動量演算子は実の量(real)か!?

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「運動量演算子 \(\hat{\mathbf{p}}=-i\hbar\nabla\) は実の演算子だって?.そんなバカな, だって虚数単位 \(i\) が入っているじゃないか!」.
そう思われた方もいらっしゃると思う.しかし,「1次演算子 \(\displaystyle \frac{d}{dq}\) が虚の演算子だったら」どうであろうか?. これに純虚数 \(-i\hbar\) を掛け合わせた量 \(\displaystyle -i\hbar\frac{d}{dq}\) は実になるのではなかろうか?
Dirac Cover
実際, ディラックさんは「The Principle Of Quantum Mechanics」の § 22 の中で次のように述べているのである:

1次演算子 \(\displaystyle \frac{d}{dq}\) の共役複素量を求めるには, 次のことに注意すればよい:
\(\displaystyle \frac{d}{dq}\cdot\psi\rangle\) すなわち \(\displaystyle \frac{d\psi}{dq}\Bigr\rangle\) の「共役虚[1][ブログ註] ディラックは, 「共役虚」について § 6 … Continue reading の量は \(\displaystyle \Bigl\langle\frac{d\overline{\psi}}{dq}\) である, あるいは, 式 (16):\(\displaystyle \langle\phi\frac{d}{dq}=-\langle \frac{d\phi}{dq}\) により次である:

\begin{equation}
\Bigl\langle\frac{d\overline{\psi}}{dq}=-\langle\overline{\psi}\frac{d}{dq}
\end{equation}

こういうわけで「 \(\displaystyle \frac{d}{dq}\) の共役複素量は \(\displaystyle -\frac{d}{dq}\) であり」, 従って「\(\displaystyle \frac{d}{dq}\) は虚の1次演算子(a pure imaginary linear operator)である」.

微分演算子がこのように虚の演算子と見做せる訳は,「微分演算子は, あくまでケット・ベクトルまたはブラ・ベクトルに作用した形で考えることを前提としている」ことに由来しているようである.

また, 砂川重信:「量子力学」の§1 1 では,「エルミート演算子」について次のように書いている:

一般に任意の2個の演算子 \(A\) と \(B\) をとったとき, これらの演算子が任意の関数 \(\psi_{1}(q)\) と \(\psi_{2}(q)\) に対して,

\begin{equation}
\def\ppdiff#1#2{\frac{\partial #1}{\partial #2}}
\def\pdiff#1{\frac{\partial}{\partial #1}}
\def\BraKet#1#2#3{\langle #1 | #2 | #3 \rangle}
\def\BK#1#2{\langle #1 | #2 \rangle}
\def\mb#1{\mathbf{#1}}
\def\mr#1{\mathrm{#1}}
\def\reverse#1{\frac{1}{#1}}
\def\ds#1{\mbox{${\displaystyle\strut #1}$}}
\def\half{\frac{1}{2}}
\int_{-\infty}^{\infty} \bigl\{A\psi_{1}(q)\bigr\}^{*}\,\psi_{2}(q)\,dq
=\int_{-\infty}^{\infty} \psi_{1}^{*}(q)B\psi_2(q)\,dq
\tag{1.14}
\end{equation}

の関係を満たすとき, \(B\) を \(A^{\dagger}\) と書き, これを \(A\) に対する「エルミート共役な演算子」と言う.すなわち,
\begin{equation}
\int_{-\infty}^{\infty} \bigl( A\psi_{1}\bigr)^{*}\,\psi_{2}\,dq
=\int_{-\infty}^{\infty}\psi_{1}^{*}\,A^{\dagger}\psi_{2}\,dq
\tag{1.15}
\end{equation}

である.式 (1.15) で特に \(A^{\dagger}=A\) のとき, \(A\) を「エルミート演算子」という.従って, 演算子 \(F\) が「エルミート演算子であるための条件」は,
\begin{equation}
\int_{-\infty}^{\infty} (F\psi_{1})^{*}\psi_{2}\,dq=\int_{-\infty}^{\infty} \psi^{*}_{1}F\psi_{2}\,dq
\tag{1.16}
\end{equation}

で表される.この条件は,「演算子 \(F\) がエルミートで, その期待値と固有値が実数であるための必要かつ十分な条件である.
運動量演算子 \(\hat{p}_{x}=-i\hbar\partial/\partial x\) の場合には, 部分積分により,
\begin{align*}
\int_{-\infty}^{\infty} \left(\frac{\hbar}{i}\pdiff{x}\psi_{1}\right)^{*}\psi_{2}\,d^{3}r
&= -\frac{\hbar}{i}\int_{-\infty}^{\infty} \psi^{*}_{1}\,\psi_{2}\,dydz\Big|_{x=-\infty}^{x=+\infty} \ + \int_{-\infty}^{\infty} \psi_{1}^{*}(\mb{r})\frac{\hbar}{i}\pdiff{x}\psi_{2}(\mb{r})\,d^{3}r\\
&=\int_{-\infty}^{\infty} \psi_{1}^{*}(\mb{r})\frac{\hbar}{i}\pdiff{x}\psi_{2}(\mb{r})\,d^{3}r
\tag{1}
\end{align*}
となり, 右辺の第1項の \(x=\pm \infty\) の面上の積分値の差がゼロのとき, 運動量演算子 \(\hat{p}_{x}=-i\hbar\partial/\partial x\) は「エルミート」である
このように,「演算子がオブザーバブルであるためには, それがエルミートであることが必要であるが, 逆にエルミートであるからと言って, それがオブザーバブルであるとは言えない」.その一例が, 極座標系 \(r,\theta,\phi\) に於ける動径運動量演算子 \(\displaystyle p_r=-i\hbar\left[\pdiff{r}+\frac{1}{r}\right]\) である.物理量を表わす演算子 \(F\) が「オブザーバブル」(観測可能量)であるとは,「その固有値が実数(実数の力学変数)であり, かつその固有関数系が完全系を構成している場合」をいう [2][ブログ註] \(p_{r}\) はエルミート条件を満たす固有関数の完全系が存在しないからである..従って, オブザーバブル \(F\) の期待値 \(\overline{F}\) は実数でなければならない.よって,
\begin{equation}
\overline{F}=\int_{-\infty}^{\infty} \psi^{*}(q)\,F\,\psi(q)\,dq=\int_{-\infty}^{\infty} \bigl(F\psi(q)\bigr)^{*}\psi(q)\,dq=\overline{F}^{*}
\tag{2}
\end{equation}

これは式 (1.16) で \(\psi=\psi_1=\psi_2\) とした場合に相当している.

式 (1.16) をブラケット形式で表現するならば,

\begin{equation}
\bra{\psi_{1}} F \ket{\psi_{2}} = \bra{\psi_{1}}\cdot\bigl(F\ket{\psi_{2}}\bigr) = \bra{\psi_{2}} F^{\dagger} \ket{\psi_{1}}^{*}
\tag{3}
\end{equation}

ただし \(F^{\dagger}\) は \(F\) の「エルミート共役」である.\(F=F^{\dagger}\) が成り立つとき \(F\) は「エルミートである」という.
従って, 式 (1) や式 (2) をブラケット形式で表すならば,
\begin{equation}
\bigl\{\hat{\mb{p}}\ket{\psi_{1}}\bigr\}^{\dagger}\ket{\psi_{2}}
=\bra{\psi_{1}}\hat{\mb{p}}^{\dagger}\ket{\psi_{2}}=\BraKet{\psi_{1}}{\hat{\mb{p}}}{\psi_{2}},\qquad
\overline{F}=\BraKet{\psi}{F}{\psi}=\overline{F}^{*}=\BraKet{\psi}{F}{\psi}^{*}=\BraKet{\psi}{F^{\dagger}}{\psi}
\tag{4}
\end{equation}

この式 (4) からも「運動量演算子 \(\hat{\mb{p}}\) はエルミートである」と言えるであろう.

また, ディラックの§ 17 及び§ 22 には次のような記述がある:

\(\alpha\) が実(real)であれば,

\begin{equation}
\BraKet{\xi’}{\alpha}{\xi”}=\BraKet{\xi”}{\alpha}{\xi’}^{*}
\tag{41}
\end{equation}

となる.この場合にその行列を「エルミート行列」という.

シュレディンガーの表示の「基礎ベクトル」の性質の幾つかについても述べておこう.公式 (22) に左から「基礎ブラ」を作用させると次となる:

\begin{equation}
\pdiff{q_{r}}\psi\rangle =\ppdiff{\psi}{q_{r}}\rangle\quad\rightarrow\quad
\bra{q’_{1}\dotsb q’_{n}}\pdiff{q_{r}}\psi\rangle =\bra{q’_{1}\dotsb q’_{n}}\ppdiff{\psi}{q_{r}}\rangle
=\ppdiff{\psi(q’_{1}\dotsb q’_{n})}{q’_{r}}=\pdiff{q’_{r}}\bra{q’_{1}\dotsb q’_{n}}\psi\rangle
\end{equation}

これから
\begin{equation}
\bra{q’_{1}\dotsb q’_{n}}\pdiff{q_{r}}=\pdiff{q’_{r}}\bra{q’_{1}\dotsb q’_{n}}
\tag{44}
\end{equation}

となり, 従って
\begin{equation}
\bra{q’_{1}\dotsb q’_{n}}p_{r}=-i\hbar\pdiff{q’_{r}}\bra{q’_{1}\dotsb q’_{n}}
\tag{45}
\end{equation}

である.同様にして方程式 (24) からは
\begin{align*}
&\bra{\phi}\pdiff{q_{r}} = -\langle\ppdiff{\phi}{q_{r}}\quad\rightarrow\quad
\bra{\phi}\pdiff{q_{r}}\ket{q’_{1}\dotsb q’_{n}}=-\langle\ppdiff{\phi}{q_{r}}\ket{q’_{1}\dotsb q’_{n}}
=-\bra{\phi}\pdiff{q’_{r}}\ket{q’_{1}\dotsb q’_{n}},\\
&\therefore\quad \pdiff{q_{r}}\ket{q’_{1}\dotsb q’_{n}}=-\pdiff{q’_{r}}\ket{q’_{1}\dotsb q’_{n}}
\end{align*}
従って, 次式が導かれる:
\begin{equation}
p_r\ket{q’_{1}\dotsb q’_{n}} = i\hbar\pdiff{q’_{r}}\ket{q’_{1}\dotsb q’_{n}}
\tag{46}
\end{equation}

この式 (45) を用いると,
\begin{align*}
\BraKet{\alpha}{p}{\beta}&=\bra{\alpha}\int dq’\,\ket{q’}\BraKet{q’}{p}{\beta}
=\int dq’\BK{\alpha}{q’}\left(-i\hbar\pdiff{q’}\bra{q’}\right)\ket{\beta}\\
&=\int dq’\,\psi^{*}_{\alpha}(q’)\left(-i\hbar\pdiff{q’}\right)\psi_{\beta}(q’)
\tag{5}
\end{align*}
他方, 式 (46) を用いると,
\begin{align*}
\BraKet{\beta}{p}{\alpha}&=\bra{\beta}p\int dq’\,\ket{q’}\BK{q’}{\alpha}
=\int dq’\,\BraKet{\beta}{p}{q’}\BK{q’}{\alpha}
=\int dq’\,\bra{\beta}\left(i\hbar\pdiff{q’}\ket{q’}\right)\psi_{\alpha}(q’)\\
&=\int dq’\,\left(i\hbar\pdiff{q’}\BK{\beta}{q’}\right)\psi_{\alpha}(q’)
=\int dq’\,\left(i\hbar\pdiff{q’}\psi^{*}_{\beta}(q’)\right)\psi_{\alpha}(q’),\\
\rightarrow\quad \BraKet{\beta}{p}{\alpha}^{*}
&=\int dq’\,\psi^{*}_{\beta}(q’)\left(-i\hbar\pdiff{q’}\right)\psi_{\beta}(q’)
\tag{6}
\end{align*}
式 (5) と 式 (6) の右辺は等しい. よって,

\begin{equation}
\BraKet{\alpha}{p}{\beta}=\BraKet{\beta}{p}{\alpha}^{*}
\tag{7}
\end{equation}

この結果式 (7) も, 運動量演算子 \(p\) が「エルミートであること」を示している.

以上の式 (4) と式 (41) そして式 (7) とから,「運動量演算子 \(\hat{\mb{p}}=-i\hbar\nabla\) は「エルミート」であり「オブザーバブル」であり, 従って実の量である」と言えそうである.

References

References
1 [ブログ註] ディラックは, 「共役虚」について § 6 で次の様に述べている:
「我々の考えているブラ・ベクトルとケット・ベクトルは複素量である.それはこれらに複素数を掛けることが出来て, その結果は元と性質が変わらないからである.しかしブラ及びケットは特別な種類の複素量であって, それを実数の部分と虚数の部分とに分けることは出来ない.ある複素量の実数部分を求める普通のやり方は, その量自身とその共役量との和の半分をとるのであるが, それはここでは応用できない.と言うのはブラとケットとは異なる性質を持つベクトルであって, それらを加え合わせることは出来ないからである.この差異に注意してもらうために, ただの数やその他の, 実数部分および虚数部分に分けられる複素量に対しては「共役複素」(conjugate complex)という言葉を用い, そういう分け方の出来ないブラ・ベクトル及びケット・ベクトルに対しては「共役虚」(conjugate imaginary)という言葉を用いることにする.
2 [ブログ註] \(p_{r}\) はエルミート条件を満たす固有関数の完全系が存在しないからである.